坂口秀哉(理研BDR-大塚製薬連携センター 神経器官創出研究 研究リーダー)

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私たちは、理科の先生の呼びかけで集まった理系の有志メンバーです。理研の研究者と話ができる機会があると言われて、高校生共通の悩みや、勉強に関係することを聞いてみたいと考えていると、なんと脳科学のスーパー研究者、坂口先生にインタビューできることになりました。勉強や記憶のしくみだけでなく、人生観、高校での生活、オススメの本、SFのような質問にも答えていただきました。

坂口リーダーの顔写真
坂口秀哉(さかぐち・ひでや)熊本県出身。医学部では精神科医を志し、初期研修で神経内科を専攻。臨床医時代に関わった難治疾患の治療法のために、幹細胞から 3 次元の神経組織を作り出す研究を始める。現在は海馬オルガノイドを中心に、研究倫理についても考えている。

記憶が電気信号で送られるということはよく聞くが、どのように保管されるかはあまり聞いたことがありません。どのように保管されるのでしょうか。

記憶を作るところと保管するところは別だと言われています。大脳皮質、小脳、橋、脊髄、ぜんぶあわせて中枢神経系というが、一般的な記憶をつくる領域は大脳の中。大脳の内側には皮質がタツノオトシゴのような形に巻く『海馬』があり、海馬が記憶を最初につくるところだと言われている。

ただ、記憶を保管するところは海馬だけではなく、顔だったら顔の領域、場所だったら場所の領域がある、といった具合でいろいろな領域に情報が保管されている。怖かった人の顔などはっきり思い出せる顔は、顔の記憶の領域に完全にコードされているのかもしれないね。反対に見たことがある気がしてもちゃんと思い出せないような顔は、深くコードされてないとも言えそうだ。どこで会ったどのような人で〜〜〜というエピソードの情報をエンコード(符号化)していく最初のところが海馬と考えられている。

1950年代にてんかんの治療で海馬を切除する手術を受けた有名なH.M.というイニシャルの人の症例があって、その患者さんは新規に記憶を生成することはできなかったけれど、手術以前の記憶は保持されていて、そのような症例から上記のような記憶の仮説ができてきたんだ。

どうやって情報の符号化がされるかというと、海馬の歯状回にある顆粒細胞の一群が発火していて、そのときに例えば怖いエピソードがあったら、その発火の組み合わせが怖いエピソードの組み合わせになる、という感じで、ランダムな発火の組み合わせがある特定の情報の符号化を担うわけだ。顆粒細胞は常にランダムに発火していて、その組み合わせが記憶になる、っていうのが記憶の入り口。

記憶には即時記憶、短期記憶、長期記憶の3種類がある。先ほどの発火の組み合わせは即時記憶に相当する。たとえばやらなきゃいけないことが3つあるなあなんて思って1つ目をやろうとしていたら3つ目を忘れたとかいう経験がないかな?そういう短い記憶が即時記憶。試験勉強で知識を詰め込んで100点とって数日間はキープできたとしても、1年後2年後に覚えてないような記憶があるでしょう。それは短期記憶だね。家族の顔や名前や性格、忘れられない思い出など、もっと長い間覚えていることは長期記憶。これらには記憶の強化が深くかかわっていると考えられる。

テスト勉強するとき、何回も繰り返すと覚えるけど、一回だけならどうかな。結構すぐ忘れたり曖昧になったりするでしょう。同じことを何回も何回も繰り返すことで、その回路が強化される。神経と神経はシナプスでつながっているので、受け手を何回も刺激することで、受け手の数や種類が増え、神経同士の伝達がより強化される。これを「長期増強」といって、記憶や学習のメカニズムと考えられている。だから勉強で何回も同じ問題をトレーニングしていると長い間その問題が解けるようになるってわけ。

ちなみに海馬は、エピソードに関わる記憶の生成をしていると考えられていて、例えば運動の記憶は別と考えられる。自転車に乗るのはみんな無意識にできていると思うけど、これはとても不思議で、すごいことなんだ。いろんな筋肉や骨の位置を把握して、バランスをとりながらその情報を統合して筋肉を動かすことが必要であり、これをロボットにさせようと思うととても難しい。この自転車に乗るという一連の動作も、最初はものすごく頭を使って考えたりするけど、繰り返し練習することで無意識にできるようになるでしょう。これは運動に関わる記憶と言える。このような行動様式を記憶しているのが主に小脳と言われている。「運動の記憶」といわゆる「考える記憶」は違う領域で保管されているんだね。

脳同士をつなげたら、言葉を交わさずに会話ができますか。

個人的な答えでは、できないと思う。これは脳からの情報の解読(デコーディング)の問題になる。

自分がどう感じどう思っているかということを、脳の細胞レベルでの神経活動の総体としてとらえることができれば、脳を繋げて会話をすることが可能に思えるかもしれない。でも神経のどの細胞がこのタイミングで発火して、それがこういう意味を符号化していて〜〜ということが情報の元であるということをさっき説明したね。その情報を解読して他の人に全く同じ形で与えたときに、それが他の人にも全く同じ意味として伝わるかと考えると、たぶん違う気がするでしょう。脳の形は同じだけど、神経の発火はそれぞれランダムだし、経験はそれぞれの人でオンリーワンであり、その中で獲得してきた脳の神経活動の情報はそれぞれ違う意味を持つはずだ。だから、同じ意味を持つことは考えにくい。そう考えると脳を繋げての会話はできないと思う。

攻殻機動隊みたいなSFが好きな人はがっかりする答えかもしれないけど、実際には脳同士を繋げられないからいいんじゃないかな。自分のことは自分で伝えなければ伝わらないもので、だから各々の主観が尊重される。だから人間はコミュニケーションをするし、だから人間は分かり合えないものを分かり合おうとするし、それでいいと思う。

好きなことはすぐに覚えられるのに嫌いなことはなかなか覚えられないのはなぜですか。

その質問にはたぶん科学的に厳密な答えは出せないと思うんだけど、記憶自体のメカニズムは同じなので、覚えること自体は好きなことも嫌いなこともできるはず。ただ、ヒトは主観で生きている。自分自身が好きだと思えると、あまり苦労せずに取り組める。嫌いだと億劫。そういう主観的な意識は前頭葉が担っているので、好きだという快感と嫌いだという不快感とがやる気と結びついて、覚えやすいか覚えにくいかという感じ方につながっている気がする。

先生の答えに哲学的な部分があるようですが、哲学と脳科学とには関係があるのですか。

哲学と脳科学は実は密接に関係がある。というより哲学と科学は繋がっているんだよね。アリストテレスの時代に三段論法のような現代の論理の基礎のほとんどが生まれた。それ以降、西洋ではアリストテレスの考えを基にした哲学が長らく考え方のベースになっていたんだ。しかしアリストテレスの哲学には観念的な説明をするなど、不都合もあった。

一方、15-16世紀にゼンマイを動力とした機械時計が普及するようになり、ネジを回してゼンマイの力で歯車を動かし、それらが複雑に結びついて時計を動かして時間を刻むことができるようになった。そのアナロジーで、時間のような難しい要素は時計を歯車やぜんまいに分解するようにして、その各パーツの働きを調べることで、最後に合わせると全体を説明できるといった考え方が出てきて、このような論理的思考を要素還元論という。で、学問的にはこの転換点はフランスの哲学者ルネ・デカルトにあるといって過言ではないでしょう。この考え方によって現代に通じる理論の基礎ができた。

この後、ニュートンらが、自然現象を要素還元論的に捉えていく中から原理を明らかにしていったといえる。そして技術が革新し、その延長線上に現代のサイエンスがあるというわけ。

このように、科学もその元には哲学的な考え方がある。観察から記述し、実験で操作することができるようになり、顕微鏡のような技術が開発され、よりマクロからミクロにと研究が進んできている。今では遺伝子を改変したり組織を人工的につくったりと、いろんなことができるようになってきた。今の時代はそういう意味ではかなり進んでいると言えるね。

で、一連のこの流れを理解した上で今を見ると、単に今だけの視点から見る見方とは違った見方ができそうだね。哲学と科学とでは対象が分かれていって手法も分かれていってその先に我々がいるので、あたかも別の学問のように見えるけど、根本的なロジックは同じなので、哲学の考え方には目を向けた方が良いと思う。たとえば、シナプスは増強される、増強されるから長く記憶が残るというと簡単なロジックに見えるけど、本当にそうなのだろうかと考え始めると、実はそうじゃないこともある。そういうみんなが考えていないようなことを考えて実証していくのは大学院以上であり、だれもが知らないことを明らかにしていくことができれば一人前の科学者と言える。

ぼくたちの学校には人間の脳はスーパーコンピュータ10万台分だとよく言う先生がいるのですが本当ですか。

10万台分かどうかは分からないけれど(笑)、人間の脳がスーパーコンピュータ1台どころではない能力を持っているとは言える。たとえばみんながゲームを作るとしよう。みんなだったら自分の好きなゲーム、やりたいゲームを設定することができると思う。ジャンルを決めて、キャラクターはこんな人で、ストーリーはおおよそこんな感じとか。

これをもしコンピュータで演算しようとすると、フォンノイマン型と言われる一般的なコンピュータのシステムは2進法の組み合わせを情報として取り扱うので、その2進法の計算を膨大に行うことになる。ジャンルで何万通り、シチュエーションで何万通り、ゲームシステムで何万通りといった中から最終的に1つのゲームに落とし込まないといけないから、天文学的な組み合わせの計算をすることになってしまう。なので決められたタスクをこなすことはコンピュータは得意だけれど、何かを新しく作ったり複雑な現実に対応することになると途端に難しくなってしまう。

ところがみなさんはできてしまうんだ。なのでスーパーコンピュータどころではない能力をみんなもっているってわけ。これってすごくない?コンピュータでできないことをできてしまうポテンシャルをみなさん一人ひとりが自覚していないかもしれないけどもっている。

で、その可能性をつぶさないでほしい。「自分なんて無理ですよ」なんて言う人がすごく多いんだけど、そんなことを言って可能性を潰すのではなく、「できるかもしれない」とまずトライしてほしい。自分は高校1年生のとき何をしていたかというと、遊んでたんですね。高校2年のときはもっと遊んでました。高校3年になって勉強して今のようになったんだけど、やっぱり遊びって大事だと思う。もし自分に遊びの時間がなかった場合、カチカチの真面目しかない人生になっていたと思う。カチカチで幸せになったらいいけど、生きていくと予想できないことが起こったりして、真面目一本では気が滅入ると思う。そういうときにいろんな考え方をもって、ちょっと余裕を持つことが大事なんじゃないかなと思うわけ。

知識をたくさん吸収し、理詰めで考えればテストで良い点を取ることはできると思うけど、それだけだと対応できないことがいっぱいある。たとえばコミュニケーション。ちょっと前に論破って言葉がよく言われていたけど、あの論破っていうのは良い意味でのコミュニケーションとは言えないと思う。高校生くらいだと相手を突っぱねてもなんとかなるのかもしれないけど、大学ではどうだろう。社会人だったらもうダメだよね。相手を尊重できない人は社会からも受け入れてもらえなくなるから。しかも、大人になると、間違っているということを教えてくれる人がどんどん少なくなってしまうから、間違っているということにも気づけない大人になってしまうんだ。

遊びを含めていろいろやってると自然にコミュニケーションができるようになると思うんだけど、こういうのは後から活きてくる。だからいろんな経験をした方が良いね。自分を人に伝える力であったり、逆に人のことを聞く力であったり、遊びの中で繰り返して強化することになる。そういうものが結局皆さん方を作っていくと。運動が記憶になるように、考え方も記憶のようにその人に備わっていくと思う。みんなそれぞれの考え方には癖があるでしょ。何度も同じ考え方をしていくと、それがその人の考え方を作っていく。それが性格にも反映されてくると思う。すぐ怒ってたら、また次もすぐ怒る。だけど、それを変えようと思えば変わるでしょ。

人間には気質と性格があってね、気質は生まれながらの癖。小さい時からニコニコしている人もいれば、喧嘩っ早い人もいる。そういうものがいろんな人との関係の中で、喧嘩したら怒られるとか、ニコニコしてたらみんなが楽しくなるとか、笑ってくれたら嬉しいとかを学ぶ。それが本人の性格にも反映されていく。もともともっている気質に加えて自分がどう生きていくかによって獲得した経験をもとに性格ができてくる。そういうものはもちろん脳のはたらきであって、脳のはたらきの中で強化される。

脳を移植するとしたら、どこまでが自分なのですか?

この質問への答えには、「意識の本体がどこにあるのか」ということが重要になるが,これについて科学的に答えることは現時点では難しいと思う。必要条件と十分条件という言葉の定義は分かるよね。病気などで脳や脳の一部がなくなってしまうと自分自身であるという意識を保つことができなくなってしまうため、脳が正常に活動していることは意識の必要条件であると考えることができる。他にもこの領域が障害されると意識がこのように変わるというような臨床医学の知見があって、そういう情報から意識の必要条件はある程度はわかっていると思う。

ただ、意識の十分条件はわからない。この条件がそろえばこの意識が発生するということは全く分かっていないんだ。これはある意味神経科学の最大の謎の一つだと思う。脳移植で自分という意識がどこまでかとかを知るには意識の科学的知見が十分ではないので、科学的に説明することは難しいと言わざるを得ない。

脳は再生しないと言われていますが,なぜですか?

昔は脳は再生しないと言われていたんだけど、海馬など脳の特定の領域では神経細胞の細胞分裂による神経新生が確認されているので、脳は再生しないとも言えない。まあ、脳の細胞がどんどん再生して入れ替わっていったら脳の情報が維持できなくなって、自分が自分でなくなっていくような気はするね。

集中力や記憶力が突出している人と、普通の人との違いはなんですか?

その人たちの脳と普通の人の脳との違いを直接比較しないと分からないが,例えば研究のアイディアや方法論がすばらしかったアインシュタインはグリア細胞が多かったと言われているね。でも記憶力がよすぎるのも問題になるみたい。昔読んだ本の話ですが、突出した記憶力の持ち主がいて、その人は全てを記憶できたらしい。ただ、細部まで正確に記憶しているために逆に脳内で情報のカテゴリー化ができなかったみたいで、例えば昨日話したAさんは今日会うと服装やメガネ,マスクなどの変化が必ずあるから、この変化によって会うたびに同一人物だと認識できないといったことがあったようで,成績も良くなかったそう。

脳のエネルギー源はなぜブドウ糖だけなんですか?他にも脳にいい食べ物はありますか?

理由はわかっていない。頭が良くなると言われていたものに、ドコサヘキサエン酸(DHA)やエイコサペンタエン酸(EPA)があったけど、脳の何に対していいのかは分からないんじゃないかな。90年代にマウスを使った実験で神経修復の栄養因子が多くわかってきたんだけど,それを薬としてヒトに投与しても有意な効果が見られなかった。多くの実験はマウスを使っているが、マウスとヒトでは脳の構造や組成が違うため、実験で得られたデータが本当に有効かは分からない。

いつ頃から研究者になろうと思いましたか?

これは難しい質問ですね。自分はもともと研究者になろうとするキャリアを歩んでいなかったもので。最初は学校の先生になろうと思っていて、当時は映画のバック・トゥ・ザ・フューチャーでタイムマシンを作るドクや、ジュラシック・パークに出てくる考古学者や数学者を見て、科学者は格好良いなと思ったくらい。その後小学5年生の時に、今は治せない病気を治す医者になりたいと考えて医学を志すようになり、そのまま医者になった。

大学1年2年は基礎医学を学んで、基礎研究っておもしろいなと思った。同時に、臨床医として一流になることと基礎研究者として一流になることは、細分化された専門性が強い現代では両立できないこともわかった。自分は患者さんと直に接する医者を希望していたので、臨床医として一流になりたいという方向で大学生の頃を過ごした。

当初は精神科医になろうと思って色々と勉強・経験を積んだが、初期研修医をやっているあたりで、当時の精神医学では精神疾患のメカニズムに迫って根治を目指すことは難しかろうと思うようになった。初期研修医中に神経内科のローテートをしていて、神経難病を遺伝子レベルで解明するきっかけに触れることになり、神経内科を専攻することとなった。でも今度は神経難病の患者さんに根治が難しいと伝えることが苦痛で、疾患のメカニズムに迫る研究をしたいと思うようになった。当時はiPS細胞が注目を集めていた時期で、かつヒトの3次元大脳組織が分化誘導できる報告があった時期でもあり、ヒト3次元神経組織を誘導することで、疾患のモデルが作成できるのではないかと思って、大学院に行くタイミングで研究者を目指すことにした感じです。

高校でやっておいた方が良いことは何ですか?

遊ぶことですね。

自分が目指す道に必要な最低限の勉強はちゃんとやった方がいいという前提だけど、それだけだとつまらないと思う。たとえば友達を作ることは大事だし、高校でしかできないことはいっぱいある。文化祭や体育祭に参加したり、逆にサボったりする経験は、高校まででしかできないですし。何かをサボるにしても全力でサボってほしい。これは何かをサボる時は、他のことを集中してやるということで、ただダラダラするわけではないですよ。高校のときの経験はオンリーワンだから、どんな経験も生涯ずっと残ると思う。だから、チャレンジする機会があったらぜんぶチャレンジしたらいいと思う。10代20代だとGoかNo Goの選択肢があったらぜんぶGoだよ。

40代にもなると、やりたいことがやりたいようにできないことも出てくるけど、若いうちは失敗してもすぐに取り戻せます。あと、失敗を恐れる人がすごく多いと感じているんだけど、チャレンジせずに成功も失敗もしないのと、チャレンジして失敗したという経験をするかは全然違う。あの時こういうことをしていたらなと後から後悔するようなことはしないでほしいから、今しかできない遊びであったり友達を作ったり思い出をつくったりしてほしい。

最近思うんだけど、いろんな人に対してチャンスはたぶん平等に来ている。でもそのチャンスを気づかなかったかつかめなかったかという人は多いんじゃないかな。そして一度見過ごしてしまうと、同じチャンスの2回目は同じ人に来ない。だから、ちょっとでもやってみたいと思ったときにそういうチャンスが目の前にあればやった方がいい。ミスしても許され、時間もあり、いろんな自由があり、やろうすることに支障が少ない若いうちにどんどんチャレンジしてほしい。そしてそのチャレンジはできる限りずっと続けた方がいい。

読んだ方がいい本はありますか?

これはよく聞かれる質問ですが、まず前提として、自分が読もうと思った本を読むことが大事だと思います。誰かに勧められた本の価値は半減するという持論を持っています。本をいっぱい読んで、購入した本がおもしろくなかったという失敗を経験していって、自分で良い本を見つけにいって出合うというスキルを身に着けてほしい。

で、そういう答えだと愛想もないので読んだ方がいい本として答えると、漢籍(中国の古典)に触れることですね。漢籍は日本人の道徳観などさまざまに影響していると思うので、漢籍を読んで得るものはとても多いです。また、歴史を知ることが大事だと30歳を過ぎて気づいたので自分は歴史の本をよく読みます。歴史を知り、自分の立ち位置を知ることが大事なんですね。

平成から令和になった日があるけど、ぬるっと令和になったでしょ。そんな感じで江戸から明治、大正、昭和、平成、令和とすべては連続体であって、その中にいろんな人がいて、その中に目立ったことがあって、その目立ったことが歴史として残っているだけで、実際は混沌と続く社会があるわけです。歴史の教科書に書いてあることを暗記するのはおもしろくないけど、その時代背景を知ることはおもしろいです。

現代の歴史を知るならノンフィクションのドキュメンタリーを読むといい。今の日本も歴史を繰り返しているんだなと本当に思う。

今どんな研究をしていますか。

3次元の神経組織を多能性幹細胞から創る研究です。多能性幹細胞には胚性幹細胞(ES細胞)と人工多能性幹細胞(iPS細胞)があって、これらは身体のどの部分にも分化する力がある。発生生物学によって、大脳、脊髄、海馬、など神経のそれぞれの領域の発生に必要な因子が分かってきた。で、その知見をES細胞やiPS細胞に適用することで、体のどの部分にも分化できる多能性幹細胞からヒトの神経組織を創ることができるようになった。

自分のラボではヒトの大脳皮質、海馬、脊髄を創っている。例えば、遺伝子変異が原因の神経疾患を持つ患者さんから疾患iPS細胞を作って、その疾患iPS細胞から神経組織を誘導すると、患者さんと同じ遺伝子変異のある神経モデルを作ることができる。これにより、これまで難しかったヒトの神経疾患の研究が実験室できるようになるのではと期待されている。

研究以外の活動として、最近は一般の方々へのアウトリーチにも挑戦している。iPS細胞から脳組織を作る研究について誤解をしている人や、残念なことに科学的に誤った理解に基づく倫理議論を進める研究グループがあったりするので、学術として正しい形で、かつ、できるだけ多くの人の利益に寄与するようなやり方で発信するのも自分の仕事かなと思ってやっています。

研究者に必要な能力は何ですか?

興味を持ち続けること。これは絶対に必要な能力であって、たぶん才能みたいなものだと思う。

好きなことに興味をもつ人は多いと思うけど、それを最後の最後まで見てみたいと思えるほど興味をもち続けられるのは少ないんじゃないかな。自分が好きなことがあって、知りたいことがあって、興味のあることを掘り下げて、今まで誰も知らなかったその先を明らかにすると論文になって、学会で発表もする。これが研究の流れなので、興味を持ち続けることができないと続かない。

ほかの人からみたら好きなことをやってる点ではYouTuberと同じかも知れないね。で、研究者もYouTuberと同じですごく競争が激しい。やっぱり好きなことで生きていくのは大変だと思う。上手くいかないことも多くて、10回に1回、100回に1回も上手くいかない中で、偉くなりたい、目立ちたい、楽したいという動機ではやっていけないと思う。好きでないと続かない。

ちなみに、みんなは、研究者は頭が良くないとなれないんじゃないかとか思っているかもしれない。もちろん、ある程度の背景知識を記憶できてロジカルシンキングができる最低限の知能は必要だけど、1回見たらぜんぶ覚えるようなスペシャルな知能は必須ではないよ。興味を持ち続けることができる人が興味を持てるテーマに出会えると研究者としてやっていけるんじゃないかな。

坂口リーダーの資料をのぞき込む生徒たち

インタビューを終えて

現役の研究者が私たちの質問に具体例を交えながら分かりやすく説明していただき、脳の話はあまり教えてもらう機会がない貴重なお話だったのでとても楽しかったです。脳科学はとても難しいことだと思っていましたが、日常生活で不思議に思っていたことや、これまで考えたこともなかったことについて、多くの新しい知識を得ることができ、身近に感じることができました。坂口さんは、自分たちでは思いつかないような視点や考え方を持つ方で、特に「人からすすめられた本ではなく、自分が読みたいと思う本を読むべきだ」ということと、「若い時には積極的にチャレンジするべきだ」というアドバイスが印象に残っています。

取材・執筆

兵庫県立加古川北高等学校 有志
角野甲乙、大高将渡、菊池創太、野間口陽太