前立腺の発生をオルガノイドで
自動化の未来を話してくれた田中さんから紹介されたのが、オルガノイドを使って器官の発生過程を研究しているらしい宇野さん。所属研究室の髙里チームリーダーからは腎臓の話をよく聞くので、腎臓の話かなと思っていたら、現在はもっと研究の対象が広がっているようで、ちょっと予想外のお話でした。
前立腺の研究をやっています
(薬師寺▸)高里研ということは、腎臓の研究をしているんですか?
(宇野▸)髙里研は、最近は腎臓以外にも、膀胱なんかも扱っていますよ。
膀胱ですか。腎臓は糸球体とかあってだいぶ複雑な臓器の感じがするんですけど、膀胱ってただの袋のようなイメージがあるんですが、そうじゃないんですか。
膀胱は尿をためるための器官なので、尿が外に漏れ出さないようにするために細胞が特殊な分化をしているんです。
腎臓に限らず泌尿器科まわりが守備範囲なんですね。
そうですね。私が現在研究対象にしているのは、前立腺がんや前立腺肥大症で有名な前立腺です。
前立腺という臓器は、男性の膀胱のすぐ下に存在する生殖器官で、前立腺液の分泌が主な役割です。
前立腺液というのは何ですか?
前立腺から分泌される、精液の構成成分の一種です。役割としては、精液を凝固させて精子を衝撃から保護する事や、精子に栄養を供給する事が知られています。加えて前立腺はタンパク質分解酵素も分泌しているんですが、その酵素は前立腺液に含まれる亜鉛イオンで不活性化しています。前立腺液に含まれるタンパク質で精液が凝固すると精子は動けませんが、亜鉛イオンは精液の凝固にも使われるので、凝固が始まると酵素から亜鉛イオンが分離し、酵素の活性が復活して凝固していた精液が流動性を取り戻すと、精子が動けるようになります。
前立腺の発生
前立腺ってどうやってできるんですか。
前立腺は上皮の層とその周りの間充織の細胞で成り立っていて、前立腺の上皮は主に、前立腺液の分泌に関わっている前立腺管腔細胞と幹細胞を含む基底細胞で成り立っています。
胚発生において前立腺は膀胱とともに、後腸と呼ばれる腸の後端から形成されます。
これは左側が頭ということですね。
そうですね。左が頭で、右が後方です。後腸には直腸も含まれていまして、発生が進むと、後腸の末端が総排泄腔となり、ここが背側と腹側にくびれて分離します。分離すると、背側が直腸に、腹側が膀胱や、前立腺のもととなる尿生殖洞(にょうせいしょくとう、UGS)に発達します。
ヒトだと、ここまで受精から5週間くらいですね。けっこう早い段階で発生が進みます。
食べもの関係だからかな。妊娠に気づいた頃にはもうできているということですね。
最終的に膀胱の側は膀胱に、尿生殖洞側は男性でだけ前立腺が形成されます。尿生殖洞は内側の管の部分の上皮とその周りを覆う間充織で成り立っています。前立腺の初期発生は、精巣から分泌されたテストステロンを間充織が受け取る事によって始まります。
精巣は別にもう発生が進んでいて、そこからテストステロンをもらうんだ。
そうですね。テストステロンを周りの間充織が受容すると、間充織から二次シグナルが上皮に働きかけを行って、それによって前立腺の最初の出芽が起こるんです。
さらに一度前立腺芽が出芽すると、さらに間充織と上皮の相互作用が起こることによって、前立腺のさらなる分岐や管腔形成、管ができます。
ヒトでは管が胎内ですでに作られますが、マウスでは生後に主に発達するといわれています。
マウスは前立腺が出来上がる前に途中で生まれてきちゃうんだ。
そうです。この中で私が研究しているのは主に前立腺の胚発生の段階です。マウスを使った研究で、まだ前立腺ができる前の段階の尿生殖洞から上皮だけを取り出して、体外で前立腺の前駆細胞をつくり、そこから前立腺のもとをつくりました。
オルガノイドで発生を再現
将来は多能性幹細胞に由来するヒトの前立腺上皮オルガノイドをつくりたいなと考えています。
最近よく聞くんですが、オルガノイドってなんですか?
細胞培養で作る、数ミリ程度のミニチュアの臓器のことです。さまざまな種類の細胞を再構成させて、臓器の構造や機能の一部を再現するものです。

オルガノイドのもとになる細胞は何を使うんですか?
うちではヒトiPS細胞やヒトES細胞を使っています。これまで、成人の組織から細胞を取り出して、前立腺のオルガノイドを再構築するという報告はいくつか報告されています。この方法では、再構築に使う組織を、前立腺疾患の患者さんが手術や病理検査を受けた際に取り出されたものを研究に使っていました。そのため、用いる組織が周囲にある前立腺肥大症組織やがん組織の影響を受けている可能性が否定はできないという問題点があります。なのでiPS細胞やES細胞から作れるといいなと思っています。
iPS細胞の元になる細胞は、特にヒトの場合だと、手術とかで採取したものなんですか?
皮膚や血液、最近では尿中の細胞から取れるという報告もあります。
尿中に細胞がそんなに漏れ出てるんですか!?
膀胱上皮の細胞が剥がれる事があるみたいです。
それを元にiPS細胞を作って、発生を再現しようということですね。
そうですね。膀胱や、前立腺のもととなる尿生殖洞の場合、まずはiPS細胞から後腸の細胞を誘導します。続いて誘導された後腸を腹側に誘導させて膀胱や尿生殖洞の基となる組織をつくり、さらに膀胱と尿生殖洞を分けて誘導するという操作になります。加えて、尿生殖洞から前立腺を、マウスで誘導した方法を参考にしながら誘導したいと考えています。
少なくとも3段階分化をするということですね。
そうですね。もしかすると3段階以上かもしれないです。
結構ステップあるんですね。
マウスの研究を考えると前立腺芽までは培養で誘導できそうなので、これを前立腺の間充織と組み合わせて、生体に移植して、前立腺の上皮が成熟できるかどうかを調べたいと考えています。
最後の成熟化は、移植による感じですか?
まだ移植頼りですね。一応ヒトのiPS細胞とマウスの間充織を組み合わせて移植すると、成熟した前立腺の上皮が出来上がるという報告はあります。
ヒトとマウスのキメラの状態でできるってことですか?
キメラです。他にも、iPS細胞から将来消化管となる内胚葉という組織を誘導して、それと前立腺の間充織を組み合わせて育てると、前立腺のもとができて、3、4カ月くらいで成熟した前立腺みたいなオルガノイドが形成されるという報告もあります。
in vitro(試験管内)で成熟までいけないんですか。
一応移植せずに培養だけで前立腺を成熟できたという報告はあるにはあるんですが、手間もかかるので、最初の選択としては移植になりますね。最終目標としては、周りの間充織もiPS細胞やES細胞から誘導して、それと上皮のオルガノイドを組み合わせて完全ヒト由来のオルガノイドを作りたいですね。
共培養みたいな感じですかね。
そうです。培養だけで成熟させて、完全に他の動物由来の組織を含まない前立腺オルガノイドをつくることができるんじゃないかと思います。今は上皮の研究がメインですが、将来的には間充織も研究できたらおもしろいかなと思っています。
やはり再現性がハードル
オルガノイドを研究するうえで大変なことや難しいところってなんですか?
やっぱり細胞の機嫌ですかね。
出た!細胞のご機嫌ですね!
結構デリケートなんです。ちょっとしたことで分化しにくくなったりとかしますし…。例えば、温度がぶれただとか条件がほんの少し変わっただけで、大きく変わってしまうことがあります。
あとは、培地の種類がちょっと変わると誘導のしやすさが変わります。
とあるメーカーの培地ではうまくいったけど、別のメーカーのものではうまくいかなかったり、という感じですかね。
そうですね。化合物もメーカーによる好き嫌いが結構激しいですね。
そうするとなかなか再現性を取るのが難しいですね。
けっこう大変ですね。ただ、再現性はどうしても取らないといけないのできちんとやるしかないです。何回も繰り返し実験をやって、結果がそんなに変わらないということを統計的に見ていくしかないです。なので、そもそも数週間かかる培養だったりしますので、やはり時間はかかりますね。
再現性がうまく取れない場合、どうやってトラブルシュートするんですか?
けっこう難しいですけどね、複雑な問題が絡み合っているので、一つ一つ丁寧に見ていくしかないですかね。
例えば最近条件が変わった部分や、試薬や培地のロットが変わったとか、そういうところからですね。以前使っていたロットの試薬がなくなってしまった場合は、再度条件検討からになりますね。
やり直し。そうだよね。たった3ミリの臓器をつくるのにそんなに大変だったら、移植できるレベルの臓器を作るってまあまあ大変ですね。
大変です!!
編集後記
オルガノイドができれば、移植用の臓器を人工的に作る…なんてことも夢ではなさそうなのだけど、肺や腎臓など、酸素・二酸化炭素の交換や血液中の老廃物を除去するなどの機能を持つ臓器は、血管と血液の存在が不可欠。でも血管や血液は、発生的にはそれぞれの臓器とは別の系統から誘導・分化されるので、これを同時にコントロールするのは至難の業だそう。SFみたいな世界はもうちょっと先の未来の話なんだろうな、と思いました。