今回は次世代DNAシーケンサーを中心に神戸理研をゲノムの側から支えている西村さんから、神戸理研の古株仲間で、研究室を支える立場の人として高野さんをご紹介いただきました。現在はテクニカルスタッフとして働いているということだけど、実際はどんな仕事をしているんだろう…?しかも、ちょっと変わったキャリアの持ち主らしいので、そのあたりから……。

研究室のお母さん?

早速ですけど、研究室ではどんなお仕事をされているんですか?

そうですねぇ。ラボのみなさんの困ってる話を聞いています(笑)
ほとんどは、これが無いんだけどどうやって発注したらいいのとか、この機器が上手く動かないんだけどどうしたらいいかわかる?とかです。まれに、実験が思ったようにいかないという話も聞くことがあります。これはお互い様でわたしが聞いてもらうこともあります。

研究職ってちょっと特殊な環境にあると思うんです。企業の会社員とは少し違うというか。決まった期間に個人で結果を出さなければならない場面がありますし、そういう時には当然プレッシャーを抱えることになりますよね。その中で、自分が思ったような結果が得られなかったりすると、やっぱり少し凹むんですよね。だからなかなか大変な環境だなぁと思ってます。ほとんどの場合は結構すぐ切り換えられますけど。

相談とかそういう話を聞いて元気づけている、という感じですか?

元気づけられているかどうかは、わからないですけど。でも「ひょっとして、何か困ってる!?」みたいな雰囲気を感じたときは「最近どう?」という感じで声をかけるようにしています。逆に声をかけられるときもあります(笑)。そうすると、話をしたい気分だったらいろいろ話をするし、それほどでもなければそれはそれでいいですし。

チームリーダーのYooさんは毎週メンバー全員と1 on 1ミーティング、要は個別面談をやってるんです。今は10人くらいメンバーがいるんですけど、その全員と。だから研究に関することならその時に相談できるだろうけど、チームリーダーに話すほどのことではないことで困ってることもいろいろあるじゃないですか。海外から来ている方だと、生活のこととかで困っていることもありますし、わたしもただ話をして信頼関係を築きたいときもありますし。

身近にそういう話を聞いてくれる人がいるのはありがたいですね。壁にぶつかったり、迷ったりすることはこの歳になってもありますからねぇ。

過去に大学で働いていたときに、母の日にカーネーションをもらったことがあります。
そのときはじめて、研究室の中でお母さん的なポジションだと認識されているんだと感じてうれしかったです。

どうしてテクニカルスタッフに?

テクニカルスタッフという仕事を始めたのはどんなきっかけがあったんですか?

もともと短大を卒業してからしばらくは、普通の会社に入社して6年くらい事務職をやってたんです。当時はあんまりやりたいことがなかったんですよね。なので、最初に就活したときは「自分に何ができるか」に重点を置いていて、何をやりたいのかとは考えていなかったんです。でも、周りの人が好きなことをしながら収入を得ているのを見ているうちに、将来働き続けるとしたらとかいろいろ考えるようになったんだと思います。それで、わたしも本気で就きたい仕事を探そう、と思ったんです。できるできないに関係なく何に面白いと感じてきたんだろうと考えてみました。そうしたら生物に行き当たりました。

でも、周りで生物に携わる仕事をしている人や研究者はいないし、当時は今ほどネットで検索することとかも一般的ではないし、本を見ても出てくるのは大学の先生やお医者さんがほとんどで。いまいちどういう道に行けば研究に携わる仕事に就けるのかわからず、当然テクニカルスタッフという仕事も知りませんでした。でも、そういう仕事をしている人はたくさんいるはずと思っていました。そこで、まずはその世界に飛び込んでみよう!と、そのためには何より基本的な知識は必須だよね、ということで大学へ行って専門知識を学ぼうと思ったんです。だから、センター試験を受け直してもう一度大学に行くことにしました。

え?そこから?

最初は大学に3年次編入っていう制度があることを知らなくて、普通に受験するしかないと思ってたんです。だから3年計画を立てて、仕事をしながら受験勉強をしてたんです。当時、すでに結婚していたので、夫に頼み込んで、なんとかやらせてもらいました。でも1年目は全然ダメでしたね…。3年目に編入試験のことを知って、なんとか神戸大学の理学部に合格することができました。もう30歳でした(笑)

すごい情熱ですね。理研にはいつ来たんですか?

修士課程に進んだ時に、連携大学院制度で理研の阿形研究室(阿形清和 現基礎生物学研究所長)に所属するようになりました。そのときに、ラボの方に生物についてや研究するときの考え方など教わり、どんどんおもしろくなってきました。今でもそのとき学んだことは根っこに残っています。やればやるほどもっと学びたい、続けたいという気持ちになり博士課程に行きたくなりました。でも一方で、そろそろお金のことも考えないといけなくなりました。そんな時に当時ラボにいた方に理研のJRA(大学院生リサーチ・アソシエイト)制度のことを教えてもらい、応募してみることにしました。そこで採用していただけたので、博士課程へと研究を続けることができました。

学位をとって、すぐにテクニカルスタッフになったんですか?

初めはポスドクも希望していました。ポスドクにならなければ研究も続けられないと思っていました。でも、ポスドクってPIを目指している方が多くいるように見えました。私の場合は、ただ長く研究に携わる仕事がしたいというざっくりした希望だけだったんです。他の人より特に広い知識があったり、長けた技術を持っているわけでもなかったので、どうしたものか悩んでいました。だから博士号取得後はまず澤研究室(澤斉 現国立遺伝学研究所教授)で遺伝学について勉強させていただきながらテクニカルスタッフをさせてもらいました。そして、やってみたらハマりました。

その後、西脇研究室(西脇清二 現関西学院大学教授)で一度ポスドクをさせていただいたこともあるんですが、期間内に行っていたプロジェクトの論文発表に貢献することはできず、期待に応えられなくて思っていたより難しいことを痛感しました。でも、おかげさまで研究にはよりハマりましたし、知見を広げることもできました。
そんな経験から、テクニカルスタッフでも実験の手順や結果など、状況によってはある程度判断を任せてもらえることを知りました。また、広い視野で物事を考えるのは得意ではないなぁとも思っていました。正直、年齢のこともつきまとってきます。そうすると、わたしにとっては実験に集中できるテクニカルスタッフのほうが長く研究に携わるチャンスがあるのでは!?と思って今のラボで研究員とテクニカルスタッフの募集が出ていたときには、テクニカルスタッフでお願いしました。

そういう経験もあって、他のメンバーから頼りにされているのかもしれないですね。

そうだといいですね。

ショウジョウバエで逆遺伝学

研究対象はずっとショウジョウバエなんですか?

神戸大学の時はプラナリアを扱っていました。澤研究室のときに線虫になって、ショウジョウバエを始めたのはYoo研に来てからです。今は「エレボーシス」という最近研究室で発見されて論文になったハエの腸の上皮で見られる変わった細胞死を観察したりしています。

ショウジョウバエってめちゃくちゃ小さいですよね?その腸の細胞を観察するって、あの小さいものを解剖したりするんですか?

そうなんですよ。遺伝学では古くから使われる実験動物なので、写真を見たことがあったりすると思うんですけど、写真だとだいぶ大きく拡大されているんでイメージしづらいですよね。実際の大きさはせいぜい5mmくらいです。一般的には「コバエ」って呼ばれてるくらいのサイズですね。だから腸を取り出す時はもちろん顕微鏡で見ながらですけど、慣れればそんなに大変じゃないですよ。
他にもハエを飢餓状態にしたときの耐性を見たりもしています。

餌がないけど長生きはする、とかいうことですか?

そうですね。まだわからない部分が多いのですが、発生時の栄養状態によって飢餓耐性に変化が起こるみたいなんです。発生時の環境が栄養不足だったものとそうでないものでハエが大人になった後に飢餓状態にしたときの耐性を比較してその原因をつきとめよう、といった実験を行っています。
遺伝子操作をしやすいショウジョウバエを使うことで、着目した遺伝子を時期や場所を決めて抑制して、食事や栄養と飢餓耐性の関係について表現型を見る逆遺伝学なアプローチです。

逆遺伝学ってよく聞くんですけど、どういう意味なんですか?

ゲノムや遺伝子の情報が充実してきたからできる方法論なんです。例えば、どのような遺伝子がショウジョウバエの目の色に関わるか調べたいときに、さまざまな変異が起こるように処理したショウジョウバエを観察して、目の色が違う個体をとってきて、目の色が変わるのに必要な責任遺伝子なのかを探すのが従来の遺伝学的手法です。こういう研究はまだDNAの存在が明らかになっていない時代も行われてきた、伝統的な研究手法です。

その後、DNAが遺伝子の実態だと解明され、DNAの配列がわかるようになってきて、DNAというか遺伝子側からアプローチする研究ができるようになったわけです。これを従来の遺伝学と逆向きなので、「逆」遺伝学的手法と呼んでいます。この遺伝子を改変したら個体にどんな影響ができるのか、ということを調べる手法ですね。

ショウジョウバエの飼い方

実験用のショウジョウバエってどうやって飼育してるんですか?

50mlチューブみたいなバイアルと呼んでいる細長い容器に入れて飼育しています。容器の底に餌を入れておいて、そこにオスメス一緒に入れておくと10日くらいで新しい世代が生まれます。
人によって感じ方は違うかもしれませんが、ハエの餌ってものすごくいい匂いがするので、餌を作っている時は周囲にいい匂いが充満して、飯テロみたいな状態になります(笑)

ハエの飼育はバイアル(小さい瓶)で行う。数がすごい!

ハエの餌って何が入っているんですか?

BDRではイーストとトウモロコシの粉とグルコースを使っていますが、ラボによってレシピが違ったりするみたいです。基本的にBDR共通の餌はパートさんがハエを扱っているラボ全員の分を作ってくださいますが、さっき言ったような飢餓状態にしたい時用の栄養が足りないバージョンの餌などは自分で作ります。

ショウジョウバエって当然飛ぶんですよね?餌の交換の時とか、扱うの大変じゃないですか?

そんなに大変じゃないですよ。バイアルをトントンとするとハエが下に落ちるので、すかさず新しいバイアルでフタをしてひっくり返してハエを移せばいいんです。観察したい時とか、オスメスを区別したい時はバイアルに二酸化炭素を入れてやると、麻酔がかかったような状態になります。そうすると動かなくなるので、実体顕微鏡の下で扱うこともできます。慣れれば簡単です。

でも、ショウジョウバエは凍結保存ができないので、一度系統として立ち上げてしまったら、生きた状態で飼育し続けないといけないんですよ。マウスとかだと受精卵の状態で凍結保存できますよね。ショウジョウバエの受精卵も凍結できるという論文もあるみたいなんですが、まだ一般に普及してないんです。なので、今実験で使っている系統だけではなくて、ラボに関わる全ての系統の維持もしないといけないので、量は膨大になります。

そうか、ショウジョウバエにもマウスと同じように系統があるわけだ。考えたら当たり前ですけど、イメージなかったです。何系統くらいあるんですか?

Yoo研では、5,000系統くらい維持しています。

うへー。すごい数ですね。1系統100匹くらいずついたとしても、えーっと…50万匹のショウジョウバエか…。それぞれの系統が貴重なバイオリソースですからねぇ。失敗したら二度と作れないかもしれない、と思うと怖いですね。

そうなんですよ。膨大なラボの系統維持はパートさんがやってくださっていて、実験に使用するハエは各個人が維持管理しています。

編集後記

最近は、DNA配列から考えることが多くなったと思うんですが、そういえばもともとはDNAなんかわからない状態で遺伝について考えていたんだよなぁ。昔の人は偉かったなぁ。また、人類の知識の積み上げというものが偉大だな、ということを改めて思いました。それにしても、5,000系統のショウジョウバエが一つの研究室で維持されているとは!