入來篤史 (象徴概念発達研究チーム チームリーダー)

(インタビュー当時)

✕  兵庫県立明石高等学校 理数探究類型 1年生

私たちは2年生から始まる課題研究に向けて、知識や思考材料などを増やそうとしています。今回、実際に研究者の方にインタビューできる機会をいただいたので、身近すぎて当たり前になっていることに視点を向けてみることにしました。実際の経験や日常的に使っているものからアイデアを出し合った結果、「感覚」について興味を持ち、そのことについてインタビューすることにしました。そして口の研究や顎の運動についての研究、人間の脳について研究を行っている入来さんにお話を伺いました。入来さんは人間について、様々な場所で幅広く研究をされています。

入來チームリーダーの写真

入來篤史(いりき・あつし)東京都出身。「人間とはなにか」を知りたくて、東京医科歯科大学、ロックフェラー大学、東邦大学などを経て理研へ。言語への興味から研究の世界に足を踏み入れたが、ヒトを科学的に研究するようになり、文理融合研究の先駆けとなる。

「感覚」の定義って何ですか。

科学で使う言葉は明確に定義されています。が、一般語としての「感覚」という言葉には明確な定義が無いので、あなたが使い方を決めたらいいと思います。ただ、わたしなりに質問に対して答えると、感覚生理学という分野があるのですが、そこでは「感覚」という言葉は明確に定義されていて、感覚受容器において情報信号が生体内システムの反応として変換されて伝達されることを感覚というんです。それは何かというと、世の中にある力とか光の波長などの物理現象量が細胞の感覚受容器細胞と相互作用して、その結果として膜電位を変化させることですね。ただ、それはたぶん普通の人が思っている感覚と全然イメージが違うと思います。

五感の中で一番重要だと思うのは何ですか。

そもそも感覚には五種類しかないというのが間違っていると思います。たぶん世の中にある全てのものは周りの状況に応じて変化するわけです。例えば、水は温度が下がれば氷になります。その時は温度が下がったということが水の分子に影響するわけですよね。さっき信号が伝達されると言いましたが、周りの状況が変わった時にそれが対象としているものに対してどういう変化を起こすかということが世の中で存在しているということの意義で、人間をはじめとして生物が生きていくためにはいろんな情報に対して適切に変化したり対応したりしないといけないじゃないですか。情報の種類はたくさんあるわけで、それが感覚と我々が呼んでいるものに変換されるわけです。でも世の中の情報や状態にはさまざまな事があって人間の五感だけでは感じられないものもあるわけでね。感覚というのは、外と中の状況が相互作用して変化をしないと検出できないわけだから、相互作用しないものは検出できないわけです。例えば、我々は紫外線は見えないじゃないですか。紫外線が見える動物もいて紫外線の世界っていうのもあるわけだけど、我々が感知していないと紫外線の世界は存在していないですよね。これは認識論ですけど、存在しないわけです。従って、最も重要な感覚はなにかという問いは、比較すること自体にあんまり意味が無いですね。ある感覚が無くなればその情報そのものが存在しなくなるんです。

一つの感覚が無くなった時に違う感覚が研ぎ澄まされるということがあると思うのですが、それはどうしてなのでしょうか。

生きていくのに必要だからでしょうね。一つの感覚が無くなればその世界は存在しなくなってしまうんだけれど、それが生きていくために必要であれば何かで代償しないと反応できなくて死んじゃうかもしれないじゃないですか。反応が必要であればそれをするために何とかしようとジタバタするわけで、その一つの方法として他の感覚で代償する場合があるし、いろいろな方法のひとつなのだと思います。

人がこのまま進化していったら、感覚器官が失われたり、増えたりすることはありますか。

それは当然だと思いますが、どのようになるのかは私にはわかりません。地球の環境は必ず変わるので、当然それに合わせた進化が起こるでしょうね。恐竜が絶滅したのも隕石が降ってきたからで、あれは誰にも予測はできないです。降ってこなければ恐竜はもっと違う進化の仕方をしたと思います。そのような環境の中だったら、哺乳類も出てこなかったかもしれないし、そうしたら我々もいなかっただろうと思います。たまたま隕石が降った結果なので、これから何が起こるかはわかりません。もしかしたら、明日絶滅してしまうかもしれない。

もし現状のまま進んでいくのであれば、その時の感覚器官は今のままでしょうか。

おそらく今のままだと思います。なぜなら、今の状態が今の環境での最適解なんです。でも、今のまま変わらないことはあり得ないので、変わるでしょうね。先のことはわからないです。

今、最も興味を持っている研究対象は何ですか。

昔も今も変わらず、人間とは何かです。

研究のテーマを考えるきっかけになった出来事はありますか。

個別の具体的なテーマについていえばそれは全部偶然です。それを色々と後付けで理由を付けたり考えたりしますけど偶然と運ですね。一連の研究の全体のストーリーは、また別の問題ですがね。私は、人間とはなにか、が知りたくて、これは一貫しています。

研究の方法を考えるアイデアというのも運ですか?本やインターネットからアイデアを得たりしますか。

方法については、運かどうかはケース・バイ・ケースですね。ただ、本やインターネットを参考に連想することはありますが、アイデア自体をそのまま得ることは無いです。本とかインターネットに載っていることって人が既に考えたことじゃないですか。人が考えて判っていることをやっていては研究者の仕事にならないので。対象とするモノをじっくり見て、誰も気付いていない全く新しいことを考えるのが我々の仕事ですよ。

研究をやる上で一番苦労したことは何ですか。

先進的なことをやっていると他の人が理解できないので、他の人が理解できるようになるまで待つことです。そこで怒ってしまうとお互いに破綻するので、じっと人がついてくるのを待つだけです。

研究が行き詰まったときはどうしますか。

若い人は成功した人の体験とか、何故そのようにできたのかってよく聞きますが、それってほとんど役に立たないですよ。ついこのあいだメキシコのリゾートでウインター・スクールというのをやって、世界中から選抜された大学院生を対象に1週間くらいいろいろ助言をしていたのですが、大学院生でもよくそういう聞き方するんです。たしかに面白いし、元気が出るので聞くのは悪くないと思うのですが、自分に役立てようと思って聞いても、その通りやってもうまくいくはずがなくて。それはその人がその時にその状況でそれをやったから成功したのですが、違う人が違う時に違う状況で同じようなことをしていたら失敗するに決まっているんですよ。人の成功体験は参考にはならないですね。むしろ失敗体験の方が参考になると思います。

インタビューの様子

今やっている研究は最終的に何に使われるのですか。

研究発表するといろんな記者とかがそういうことを聞いてきますが、それは僭越で大きなお世話なんです。基礎研究者がみずから応用のことを十二分にできるはずがなくて、応用については応用のことを考えるプロがいます。その人達が基礎研究者の研究結果をしっかり理解して、自分たちでどう応用したらいいか考えているんです。基礎研究者が何かの役に立つだろうかというようなこと考えても、うまくいくはずがないんです。

何かの役に立とうとして研究を始めなくてもいいということですか。

役に立とうとして研究を始める人もいますし、それは全く悪くないですが、僕はそういうふうにあんまり考えていません。いずれ大いに役に立つに決まっているとは思っていますけどね。おそらく僕が考えてこういう役に立つだろうという役の立ち方はたかが知れていて、もっとすごい役に立つことを考えつく人が必ず出てくると思います。

自分のやりたいことをやるには何が大切ですか。

よくある自分探しや、そのときの現状に不満を持つ暇があるならば、その時にやらなければならないことを一生懸命やるのがいいです。そうするとすぐ次の機会を与えられて、その中からの選択を繰り返すことで自分のやりたいことに近づいていきます。その時々で紆余曲折があり、その時どれを選ぶかも運ですが、自分のやりたいことが決まっていて、それがぶれなければ、最初は遠いように思えていてもどんどんと近づけます。実際に僕もそうでした。

運を掴むためにはどうしたらいいですか。

その時選べる選択肢の中に自分の希望通りのことがないということはよくありますよね。その時に自分の興味に一番近いものを選んで、そのためにやるべきこととか勉強とかは、一見自分の興味に関係ないことも多いんですけど、きちんとやっておくことが大切です。そうすると、次の選択肢にたくさんのオプションがついてくるようになります。その時々に選べるオプションの選択肢にも運が関係してきますが、これが運の掴み方でもあるんですよね。だから目の前のことを一所懸命することと、本当の目的を見失わないことが大切です。全ては運なんだけど、運には掴み方があるんです。

高校生の時に興味を持ったことに対しての追求はされていましたか。

興味があることは当然やっていました。それを追い求める場が無ければ、自分でいろいろなクラブやサークルを作ったりしていました。

英語は必要ですか。書くと話すはどっちの方が重要ですか。

英語は必須だと思いますよ。でも大事なのはその内容です。多少英語がペラペラ喋れても、上手く書けても、書く中身がないと話にならないです。中身を英語でじゅうぶんに書いて話したりできるようになるまでが大事です。言語って歴史背景とか文化的な背景とか背負っているじゃないですか。だから日本の文化のことを相手にわかるように表現するためには相手の文化を知らなくちゃいけないし、それをもとにして日本にはこんな歴史があって、だから日本人はこういう考え方をするんだということが言語化できていないといけない。しかも英語で話すにしても、英語で表現するときに辞書に書いてある訳語だけをたよりに話そうとしても多分無理ですよね。同じ単語を使っていても文脈によってまったく違う意味があったりするので、その時にこういうことを言うためにはどういう表現をしたらいいかって分かった上で英語を使わないといけない。それを知らないとディス・イズ・ア・ペンぐらいの英語が通じただけで国際化だと思っちゃうんだよね。むしろ、本当にわたしと話がしたいなら、そのために相手が日本語学んで、日本まで話をしに来るように仕向けるぐらいの気概がいるでしょうね。

第二言語は何にするのがいいと思いますか。

英語に加えての第二外国語ですね、何がいいかな。本当は学問の基本のラテン語ですけどね。ヨーロッパって結構小さい国が多くて、ヨーロッパの人は多言語喋るじゃないですか。ヨーロッパ語って結構似ているから簡単らしくて、その中で見ていると英語、ドイツ語、フランス語の三ヶ国語くらい喋れたら相当有利になるみたいですよ。行く国が決まっているならその国の言語が必要なんですけど、アカデミアで研究者の中で暮らしている限り相手も英語喋るので、私は大学では英語、ドイツ語、フランス語、ラテン語の単位をとってみましたが、それを踏まえていま考えてみてもたぶん第二外国語っていうのはじつはそれほど必要じゃないんじゃないかって思いますけどね。ただ、外国で暮らすのであれば、その国の言葉を文化背景を含めて習得するのは不可欠だとは思いますが。

理系高校生に高校生活について一言アドバイスすると、どんなことが挙げられますか。

理系とか文系とか分類自体あまり好きではないんです。古今東西、学問の基本は共通していて、それは幾何学と古典なんです。まず幾何学って論理の構造や世界の構造についての学問で物事の理解です。もう一つが古典で、人間の生業というか、自分で体験できない何千年蓄積されているものを疑似体験できるというか。それを身につけるんです。理系文系に別れるのは受験対策ということもあるんでしょうけど、僕は高校時代は文系も理系もとれる科目は全部取りましたね。何か知りたいときにはあらゆる知識が必要なので。勉強って基本的にまずは詰め込みなんです。今ある知識は全て知っている必要があって、それが自動的に組み合わせられるのがスタートラインで、その先を行って新たな知識を創りだすのが研究者なので、今ある知識を全て知っておく必要があるし知った方が有利です。もし医者とか弁護士とか、人の命や人生にかかわる仕事に進もうとするのであればなおさら、いま人類が持っている知識をすべてそなえていようとするのが、これからかかわるだろう人達に対する最低限の責任だと思います。勿論、総ての知識を完全に身に付けるのは不可能でしょうが、少なくともその努力を惜しまないことは出来るはずだし、しなければならないと思っています。

インタビューを終えて

 研究の話は専門用語が多くて難しいかもしれないと考えていましたが、入來さんは身近な例えを使ってわかりやすく説明してくださいました。そのおかげで感覚について少し理解できたと思います。感覚について私たちは簡単に考えすぎていたと実感しました。実際はもっと深くて難しいものでした。また、私たちへのアドバイスとして、やるべきことをその時一生懸命すること、運には掴み方があることを学びました。高校生活の時間も有限なので、時間を大切にしていきたいと思います。そして、私たちも興味のあることを大切にして頑張っていきたいと思いました。

取材・執筆

大倉 利文、大森 春輝、川口 義喜、粂 美涼、末原 佳朋