理研の生命機能科学研究センターに田中陽先生という研究者がいる。私は広報室でプレスリリースを担当しているが、田中先生が主宰するラボからはとにかくよくプレスリリースが上がってくる。新しい申請が来るたび、私の頭の中には条件反射で「あの歌」が流れる。〽あんなこといいな できたらいいな あんなゆめ こんなゆめ いっぱいあるけど。※1

田中先生のラボでは、シビレエイを海底探査に使ったり、ミミズの筋肉をバルブに応用したり、ものすごく薄いガラスや、とにかく小さい研究用のデバイスを作ったりしている。2年前、年間で8件ものプレスリリースを出した田中先生の研究について、記者を集めた勉強会が開かれた。「これを使ってこんなことができます」と生き生きと説明する田中先生の話を聞きながら、「ドラえもんの道具みたいだな」と思った。「あったらいいな」「できたら面白い」と思ったものを次から次に作ってしまう。

頭の中でドラえもんの歌を再生させていると、勉強会に参加していた新聞記者の一人が聞いた。「この研究は、どう世の中の役に立つんですか」。私自身も元記者職なので、研究の「出口戦略」が見えないと字にしづらいというのはよく分かる。だが、あまりにストレートな聞き方に、一瞬場が静まったのを覚えている。しばらくして田中先生がきっぱりと言った。「それは僕が決めることじゃありません」。

あれから田中先生のラボのプレスリリースに何度か携わった。8月には、藻類の一種であるユーグレナの形状を高速で判別できるマイクロ流体デバイスを開発した、という成果を発表した※2。電極を配置した流路にユーグレナを泳がせ、そこをユーグレナが横切る時の反応で、ユーグレナの「身体測定」をするというものだ。ユーグレナといえば、健康食品からバイオ燃料まで、さまざまな分野への応用が期待されている。より効率良く光合成を行う、生産性の高いユーグレナはどれなのか。開発したデバイスを使えば毎秒あたり1,000細胞を識別できるという。

このプレスリリースを読みながら、2年前の勉強会のことを思い出し、「ほら、また『未来の道具』ができた」と一人ほくそ笑んだ。そして、少し前に読んだ小林武彦さんの著書『生物はなぜ死ぬのか』の一節「天文学者になればよかった」と重なった。生物学者の小林さんが研究成果を発表すれば、必ず記者からその有用性を問われる。だが、こうした「何の役に立つんですか」という質問は、ロマンあふれる宇宙を研究する天文学者にはあまり向けられない。「記者向けの答え」を用意するたび、天文学者になればよかった、と思うのだという。

プレスリリースは、研究者たちの思い描く「できたらいいな」が実現した記録でもある。研究成果がどう役に立つかは発表時点では未知数だ。田中先生たちのデバイスで身体測定したユーグレナの恩恵を受ける日を、私はひそかに楽しみにしている。

 

※1 〽部分は作詞:楠部工氏、補作詞:ばばすすむ氏、作曲:菊池俊輔氏による「ドラえもんのうた」より引用

※2  2021年8月10日プレスリリース「藻類細胞を電気的に高速形状判断するマイクロ流体デバイスを開発」https://www.riken.jp/press/2021/20210810_1/index.html

 

(イラスト:高橋涼香)