夢見る夢への夢の研究
山田陸裕(合成生物学研究チーム 上級研究員)
✕ 兵庫県立長田高校 人文・数理探究類型9期生
私たちは1年生の冬から始まる探究活動に向けて、様々な分野のスペシャリストの方から講義やインタビューを通してお話を伺いながら、探究していくテーマ探しをしています。その中で今回理研の研究者にインタビューする機会ができ、多忙な高校生活の中で「睡眠」について興味を持っている人が多いということで、睡眠について研究されている山田さんにお話を聞くことになりました。山田さんは睡眠について分かっていないことが多い中で、睡眠に関してさらに多くのことを知るために、様々な研究をされています。睡眠は私たち高校生にとって生活と密接に関わっているもので、睡眠の大切さを身にしみて感じています。この貴重な機会に、睡眠に関する素朴な疑問や、睡眠研究の詳しいことについて聞きました。
レム睡眠の効果って何ですか?
私たちの研究室では、レム睡眠に必須な遺伝子を2つ発見し2018年に発表しています。これらの遺伝子をノックアウトしたマウスではレム睡眠が検出できません。レム睡眠は、ヒトでは、夢を見がちな睡眠といわれています。しかし、その役割について実はまだよく分かっていません。レム睡眠がないマウスも、少なくとも実験室環境の中では、他の正常なマウスと比べて目立った差がないのです。一方で、睡眠中はレム睡眠やノンレム睡眠が繰り返し現れます。レム睡眠は記憶の形成や脳の機能回復において重要な神経活動を誘導する働きがあるとも考えられています。将来、例えば、レム睡眠があるマウスとないマウスに同じ迷路課題をさせるという実験を行うことで記憶の定着度を客観的に測定すれば、レム睡眠の役割が分かってくるのではないかと考えられます。
また、睡眠中には老廃物除去が行われ、脳がリフレッシュ状態になるとされています。アルツハイマー病に関係することが知られているタウ・タンパク質は、覚醒中に睡眠時の2倍程度になるという報告があります。このことは、睡眠中に脳内の物質交換が活発に行われていることを示しています。
睡眠による記憶への影響では、どんなものがあるのでしょうか?
睡眠には記憶を定着させるという役割があると考えられています。ヒトは経験したことのすべてを記憶しているわけではありません。重要なことを覚えておき、不要な記憶は消えていきます。睡眠中に脳は不要な記憶を消して、大事な記憶を定着させていると考えられています。
記憶を消すと、そこから何かを学んだり、反省したりすることがないように感じるのですが、悪い記憶を消すことはいいことなのでしょうか?
この場合の不要な記憶というのは、例えば、精神的なトラウマになるような嫌な記憶を含みます。自分の失敗などはそこから学ばなければならず、それを消せばいいというのではありません。自分が思い出すのも辛いような記憶を和らげることに意味はあるのではないでしょうか。
寝る直前は記憶の定着が著しいと言われていますが、寝ている間の記憶はあまりないのはなぜなのでしょうか?
寝る直前の記憶の定着が良いという研究についてはよく知りません。記憶と睡眠の関係はまだ分からないことが多く、例えば、名古屋大学の山中章弘先生達の研究から、レム睡眠中に働く神経細胞が記憶に重要な脳組織である海馬に働きかけて積極的に記憶を消去しているという発表が2019年にありました。睡眠と記憶のメカニズムについては現在も活発に研究が進められているところです。今後の研究に期待です。
夢の記憶が目覚めたあともあったり、なかったりしますが、それはレム睡眠とノンレム睡眠が関係しているのでしょうか?
夢はレム睡眠でもノンレム睡眠でもみると考えられていますが、覚えている夢とあまり覚えていない夢がある理由も、よく分かっていないと思います。一般的にはレム睡眠の時の夢にはストーリー性があるのに対し、ノンレム睡眠の時はストーリー性がなく、前後関係やシチュエーションが支離滅裂としたものが多いと言われています。ちなみに夢の研究では、被験者が夢を見ていると思われる脳波を得た時に被験者を起こし、夢を見ていたかどうかの質問をするという実験を行うそうですが、被験者の報告に頼るこの実験の精度は決して高いとは言えません。まだ研究がそこまで進んでいないのが現状です。
老化と睡眠との関係はありますか?
睡眠は脳の神経活動によるものなので、神経の老化と睡眠パターンというのは密接に関係するといわれています。子供の睡眠と大人の睡眠は全然違うもので、極端な話、小さい子供はひっくり返しても起きないけれど、大人はちょっと揺すられただけでも起きてしまうと思うのです。その両者の睡眠が神経活動としてどう違っているか分かっていません。赤ちゃんの睡眠では、もともと長い赤ちゃんの睡眠の中でも、レム睡眠は非常に多く、その睡眠に占めるレム睡眠の割合は約50%、約半分です。赤ちゃんのときは新しい外界の情報、言葉を覚えなければならないため、神経ネットワークが盛んに作られます。それに対し、歳を取って大人になるとレム睡眠の睡眠に占める割合は20%くらいとなり、睡眠パターンや睡眠の状態が大きく変わります。アルツハイマー病やパーキンソン病といった神経変性疾患を持っている方の睡眠パターンや睡眠の状態にも変化が現れると言われていますし、もしかすると、睡眠を制御することで病気や老化を緩和するようなことに繋がる発見ができるのかもしれません。
なぜ他の研究領域に比べて睡眠研究では分かっていないことが多いのですか?
一つの理由としては、睡眠はするときとしないときで意識があるかないかが変わるため、睡眠について問うということは「意識って何?」もっと大きく言えば、「人間って何?」というように、人間の本質に迫るものになるため、研究自体がなかなか難しいものになります。また、もう一つの理由として、健康な人の睡眠データが少ないという現実的な問題があります。人の睡眠について詳しく調べるということは、その人のプライバシーに関わり、倫理的な問題が発生します。また、専用の研究施設で睡眠を測る必要があるため、脳波や眼球の運動、呼吸などを測定するための電極や呼吸センサをつけた状態で、少なくとも一晩ベッドに寝てもらう必要があります。このため、従来得られていたデータの多くは病気の治療の一環として測定されるデータでした。睡眠についてさらなる研究をするためには健康な人の睡眠データがたくさん必要です。健康な人の睡眠データを集めるため、現在、アップルウォッチに似た腕時計型のデバイスを用いて正確な睡眠データを記録するシステムを開発中です。これを用いれば一晩だけではなく、もしかすると一週間程度の連続計測も可能かもしれません。現在、このデバイスを用いた睡眠計測を医療レベルの精度に到達させることを目指しています。睡眠データを測定する被験者となってくれるボランティアは随時募集しています。
インタビューを終えて
今回のインタビューでは私たちの生活の多くの部分を占めているがよくは知らない睡眠についていろいろ質問させていただきました。最初、高校生である私たちは普段から睡眠時間が足らず、どうしたら効率よく睡眠がとれるのかということを聞かせていただくつもりでした。しかし、質問していくと、睡眠の研究は私たちの想像よりも進んでいないことが分かり、驚きました。
私たちの想像する研究が進まない理由は、大きな問題を解決できないために進まないというものでしたが、今回の場合は、実験の協力者がおらずデータが足りないため研究ができないというものでした。さらに、その理由だけではなく、実験の協力者という存在にも驚きました。研究というのは研究者だけではなく、実験の協力者や、施設の管理者などの多くの人の協力があって初めてできるものなのだと強く感じました。これから、私たちがしていく探究の参考にもなり、大変有意義な時間となりました。
取材・執筆
伊藤 菜那子,今榮 救,北島 佳菜子,妹尾 龍征,高比良 凛太朗,吉原 大地,石田 桃香,岡本 慈朗,梶村 祥太,小林 亜実,酒井 初音,豊田 章良,中嶋 航希,樋?口 慧大,廣瀬 奈々,溝田 唯花